2009年08月12日

今日の歌謡曲/夢冒険・酒井法子

嫁さんがウクレレをやりたい と言い出した。
あちこちの楽器ショップを見て回ったようだったが
意外に家の近くにウクレレ専門店があったらしい。

この夏は沖縄に家族で脚を運んだ。
三線の音がどこからともなく聴こえてくる。

久しぶりに押入れの奥に眠っていた三線を取り出した。

もう、このトシで、今から習えることなんてない、と思っていた。
まだ、なにかやれそうな気がする。

コンクリートの落書きは やりたいことでいっぱい。

38歳なんて若いさ。きっと。これから。
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2008年08月26日

今日の歌謡曲/生きてることが辛いなら・森山直太朗

しばらく滞在していた函館が懐かしいが
GOOGLEの新機能ストリートビューで、いつでもあの風景に出会える。
エライ世の中である。

ストリートビューは、プライバシーの問題が色々言われてるが
そういえば、
オリンピック中に、この話もストリートビューと少し似てると思った話題が。

北島康介をはじめ世界のスイマーが着た、レーザーレーサー。
日本の国内メーカーは
このレーザーレーサーについて、
国際規約違反で、承認されないと思っていたそうだが
調査の結果、規約違反は存在しなかった。

ストリートビューも、レーザーレーサーも、
グレーゾーンのシロモノである。
だからコンプライアンスに厳しい日本なら
どちらも絶対に手がけないだろう。

それに敢えて挑戦した、グーグル社とスピード社。
いや、リスクに挑戦した、という発想自体が日本的なのかもしれない。

「生きてることが辛いなら」これまたリスキーな歌である。
いっそ小さく死ね、親や恋人も3日で立ち直る、という部分が物議を醸しており
先日の夕刊フジ内のコラムで美川憲一さんもえらくご立腹だった。。が

ただ美川さんぐらいの大御所なら、もうちょっと詞の味わいというか、
裏を読むべきではないか。

それを言うなら30年以上前の話、
あの海援隊の「母に捧げるバラード」の
有名なセリフ「休みたいとか思うたら・・死ね」も当時叩かれたのだ。

今の世の中、ひとりひとりの「生」が小さすぎて、悲しすぎる「死」の存在数がデカ過ぎる。
だから詞・御徒町凧さんがいう「小さく死ね」という表現に、
逆にその詞のスケールを私は感じる。

黒澤監督の「生きる」という映画が凄く好きだが
先日の日経でのコラムだったか、
葬儀で故人についてダラダラ話すあの映画のどこがいいんだ、という人がいた。
詞の解釈も、映画の解釈も全く人それぞれだ。しゃあない。

生きてることが辛いなら・歌詞
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2008年08月20日

今日の歌謡曲/ブルーバード・いきものがかり

再び、大阪で仕事が始まった。

ご多分に漏れず、オリンピック三昧の毎日だが、
とりわけ柔道とレスリングに興味を持つようになった。

ちょびっとずつ点を重ねていくのもよいが、
やはり一気に一本勝ちするのは見てて気持ちがよい。

私にも、いろんな曲をああだこうだと言いながらも
完全に一本負けしてしまう曲調、つまり無条件で
自分の琴線に触れる曲というのがある。

Gマイナー系で、切なくアップテンポに歌う歌。

いきものがかりの「ブルーバード」は、私の直球ど真ん中。
以前、CHAKAのファンということもあり、
「レモンの勇気」という歌を取り上げたことがあるが
これと、系統としては同じだ。ていうか、似てる。

サビの「蒼い蒼い」が耳に衝いて離れない。
私にとってはポニョどころではない。

そういえば、先日娘とポニョを見た。
その話を久しぶりに盆に会った兄と姉にしたら、ふたりとも

「筋言わんといてな!!」と制止された。

じゃ、ひとことだけ言わせておくれ。

トトロの方が好きです。
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2008年08月08日

今日の歌謡曲/立待岬・森昌子

函館生活も そろそろ終わり。

早朝五時に家を出てひとり、立待岬を訪れた。
近くには石川啄木一族の墓がある。

"働けど 働けどなお 我暮らし 楽にならざり じっと手を見る"

今で言う「ワーキングプア」だが、じっと手を見る、という点に
孤高の詩人・啄木ならではの表現力を感じる。

八月であっても、立待岬は涼しい。

先日の阿久悠物語でも 頻繁に登場した森昌子だったが
あれだけ当時、美空ひばりの再来と言われていたのに
思ったほどの活躍ではなかった気がする。

美空ひばりも、山口百恵も、
ブレーンが、「今度はこんな路線で」という実験を
何度も彼女たちにさせて
また彼女らも、まるで着せ替え人形のように
周りの要望に応えて見せた。

森昌子はそういう点で「いじりにくい」素材だったのかもしれない。
でも一曲あれば一生飯が食える演歌歌手の中で
ヒット曲が複数以上あることは、思ったほどではなかったにせよ
十分な活躍だったかもしれない。

立待岬は良い歌である。
しかし、同じ津軽海峡周辺でも「津軽海峡冬景色」の方が
歌としてのインパクトの点で軍配が上がる。
つまりは、歌のドラマ性だろうか。

その晩 家族で居酒屋「昌栄丸」で 旨い秋刀魚の刺身を頂いていると
有線から吉幾三の「津軽平野」が流れてきた。
いい歌だな。。
なんだ、結局「立待岬」の歌は大して褒めずに終わる訳か。


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2008年08月03日

今日の歌謡曲/函館本線・山川豊

引き続き函館で仕事である。
車でラジオをかけると、久しぶりに松山千春の声を耳にした。
彼は長年STVラジオでDJをやっていたのは知っていたので
さすが北海道、STVラジオだと思ったら
最近はSTVラジオ制作の番組ではないらしい。

金曜の晩、日テレで「ヒットメーカー阿久悠物語」をやっていたが
日テレなので殆どが「スター誕生裏話」だった。

阿久悠とピンクレディーは「時代と寝た」とよく表現された。
彼らの絶頂期は、お互いを抜きにして語れないし、また実際そうだった。
しかしそれも、もう25年前以上の話になってしまった。

90年代以降、阿久悠の口から出てくるのは「歌謡曲」低迷に対する
愚痴めいた発言ばかりだった。
「歌謡曲」の衰退と同時に「作詞家」という職業も衰退した。
作詞家としての晩年は、彼は無念だったに違いない。

函館本線は、山川豊のデビュー曲として
相当プロモーションをかけていたのを記憶しているが
プロモーションするには
あまりに退屈な歌だった。
細川たかしのデビュー曲の「私バカよね〜おバカさんよね〜」くらいの
インパクトがないと演歌はつまらない。
山川豊の「アメリカ橋」は私のカラオケ愛唱歌のひとつだが
よくよく考えると、山川豊はヒット曲がない。
ついでに小金沢昇司のヒット曲、と言われても私は知らない。
というか、演歌業界はヒット曲がなくても
業界の「一軍入り」さえ果たせば
物真似とか、地方巡業とかで、なんとか生きていける業界である。

歌謡曲という言葉は、CDショップに行くと「演歌・歌謡曲」で
ひと括りにされてしまっている。
日本の音楽業界、さらに淘汰は続くのだろう。
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2008年07月29日

今日の歌謡曲・函館の女/北島三郎

仕事の関係で函館に来ている。

歌謡曲好きとしては、ここ北島三郎記念館を拝まなければなるまい。
生憎の雨模様、
函館駅からチンチン電車で約10分、
末広町で降りると、夏とは思えぬ肌寒い函館港からの潮風を受けた。

何かと××記念館と名のつくものは多いが
予備知識がないと、観光客はサラっと見学して終わってしまうもの。
それを、どう飽きさせずに楽しませるか。

感心したのは、記念館の専属女性ガイドである。
北島三郎の生い立ち、そして上京、デビューまでの「流し」の時代までの様子を
実際の通学列車や青函連絡船、バーを記念館内に再現しながら
ガイドさんが説明していく。
説明ガイドさんが可愛らしかったから良かった、というのもあるが
(実はそれだけが評価ポイントだろというツッコミは なしでお願い)
青函連絡船での、親父との別れを情感込めて語るシーンは
場数を踏んだ語りだな〜と妙に感心。

そして、最後はライブホールに案内され
等身大サブちゃん2号(?)による「まつり」の熱唱である。

さて、「函館の女」は子供の頃から親しんでいた歌だったが
このブログでも時々語ることのある
「聞きまちがい」をずっと犯していた歌でもある。
♪はーるばる来たぜ はーこだてー 〜 の後
「"あとは女"と言いながら」という歌詞だと思い続けていた。

そうだよな、函館まで来て、景色もいいし食べ物も旨い、
あとは「女」さえ調達できたらいい、と私は勝手に解釈していたのだ。
しかし、私も高校生くらいになると
いや待てよ、あの天下の北島三郎が「あとは「女」さえいたらイイ」、
なんて下種な歌を唄うだろうかと思い直し、歌詞を調べてみると

「あとは追うな」が正解だった。

とはいえ「函館の女」は、
永谷園の「さけ茶漬け」CMの替え歌として使われたので
どっちにしても元歌の歌詞をほとんど忘れてしまってる私だった。
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2008年07月16日

今日の歌謡曲/喝!・シブがき隊

今日は負けてしまったが、阪神が余裕の首位キープ。ファンとして非常に喜ばしい限り。
日曜日の試合は、葛城の決勝打で勝ったが、むしろバルディリスの攻守にわたる活躍が光っていた。
そのバルディリス、ボテボテのサードゴロを素手で取って一塁へ投げてアウトにした。
確かその日は投手の金村もゴロを素手で取ってアウトにしていた。

素手でボールを取るというのは、日本の指導者からみたらNGである。
鉄の固まりのようなあの球を、素手で取って怪我でもしたら大変なことになる。
しかし、外国人選手は、それよりも本能が勝つのか、難しい当たりを素手で取ろうとする。

嫁とこの話をしていたら、嫁が一言「結局、自己責任ってことなんだろうね」と。
己が取ろうとして取っているのだ、怪我をしても自己責任。
しかし、高校野球でも連帯責任を重んじる日本では、
怪我をしたらチームに迷惑がかかる、という発想になる。
結局、日本vs米国=組織vs個人、というありきたりな話に終始するわけだが
素手で取る取らないの話から、日本の組織型社会を言及する嫁の鋭さに少し納得。
確かに、素手で取ったら大沢親分あたりなら「喝ーーっ!!」と言いそうな話である。

シブがき隊メンバーは総じて私は好きだ。
薬丸さんの、妙に「はなまる」な家庭人ぶりに、戸惑いのある主婦の方も多いが
マーケティングとして、あのポジションは、意外にニッチであり、そこへ進んだ彼は偉い。
まさに「はなまるマーケット」。
そして、大河ドラマの主役も務め、田村正和的、謎めいたキャラクター戦略で成功している本木さん、
さらには、テレビ東京的旅のレポーターがすっかり似合うようになった布川さん。
こないだ、NHKラジオで回転寿司ファンとして、お気楽トークを展開していた布川さん。
「スシ食いねぇ」は、永遠に彼らについて回るわけである。

「喝!」もそうだったが、あの頃の一連のシブがき隊の歌は「男のピンクレディー」を
目指していた気がする。
よく考えると、今ブレイク中の「羞恥心」も、あの昭和的安売り感漂うコンセプトは
まさに「シブがき隊」そのものといっていい。
ピンクレディーはひと世代循環して、もうヒット曲がスタンダード曲になってしまったが
シブがき隊の復活を実は願っているひとりである。
はなまるカフェでは、薬丸さんは本木さん、布川さんと面会を果たしているようだが
果たして、3人揃って春ラララ。。となるか。
posted by 39bon at 00:24| 大阪 晴れ| Comment(2) | 80's歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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